何ヶ月ぶりかの京都。
誕生日をお祝いしようと、彼女が計画してくれた京都。嬉しい。
幸いにも、阪急電車一本で行ける場所に住んでいる。
それでも、京都は遠く離れた街。
京都に憧れを持ち始めたのは、おそらく高校生の頃。
母の影響。
若い頃京都に住んでいた母の影響。
母は、過去のことを話したがらない人だったから、「あの場所で告白された」「あのお店で学生時代バイトしてた」など、具体的な話を聞いた覚えはない。
でも、たしかに京都が魅力的なまちであることを教えてくれたのは母だった。
大学進学を考え始めた時、まずは東京に行きたいと思った。
田舎育ちの誰もが憧れるシティーライフ。
都会といえば東京。
中央大学あたりに行きたいなと想っていた。
どうして中央大なのかはわからない。
きっとお正月でみるユニフォームがカッコよかったからだと思う。
きっと子どもの「行きたい」「やりたい」なんて、そんなもの。
今日は特別早起きしたから、駅に着いたのは7時半。
別に急ぐわけでもないし、10時に烏丸に着けばいいから、最初に来た電車に乗り込む。
「普通 高槻市行き」
普通だから、この時間帯でも人はまばら。
今日は本を読むぞと、持ってきたKindleを手にする。
先日入れた『星の王子様』を読もうか、大好きなアルケミストを読もうか、迷った末『太宰治
短編集』を読むことに。
やっぱり、旅には文学でしょ。
読みかけの続きをと思ったが、全く覚えていない。
「天狗」?
諦めて、旅路に合いそうなタイトルを探す。
見つけた、「佐渡」
「京都に行こうとしているのに、佐渡?」
と頭をよぎったが、あんまり気にしないでおこう。
期待通り、内容は佐渡までの旅路について。
目の前に浮かぶ島が佐渡であるのか、いや佐渡であるわけではない。みたいな話。
普通と準急を乗り継いだ1時間かけても、結局読み切ることができなかったので、結末はわからない。
まあ、「文学はオチの良し悪し」ではない、とそれっぽい事を考えながら、烏丸に降り立つ。
これまで100回以上、この駅に降り立ったが、未だに方向がわからない。
とりあえず、歩き始める。
最初に見つけた出口から地上に出る。
出た、四条烏丸の交差点。
この交差点も方向が分からなくなる定番スポット。
きっとあの一体は、磁場が歪んでいるに違いない。
いつか兄が京都に遊びに来た時、「第六感の正体は、磁力。渡鳥たちが方向感覚に優れているのは、磁力のおかげ」的なことを教えてくれたことを思い出す。
地下でも、地上でも、自信がないときはとりあえず歩き始める。
見つけました。ヒント。
錦小路通り
の看板。
「丸竹戎ニ…」の数歌さえ入ってれば、
どこにいても大丈夫。
数歌を覚えたのは、コナンの映画だった。
『迷宮の十字路』
この映画も、京都への憧れに一役買った大好きな作品。
京都に行きたくなったら、この映画を見て「京都した」気になる。
烏丸通りをなんとなく北に歩くが、
最近はもっぱら自転車移動なので、思ったように歩けない。
もっと速かったはずなのに、腕ばっかり振ってあんまり進まない。
会社に向かう人たちに抜かれていく。
新風館って烏丸通から見えたっけ?と思いながら写真をパシャり。
どうしてもコーヒーが飲みたくて仕方ない。
左手前に前田コーヒーが映る。
この辺のホテルでバイトしてた時、夜勤前に何度か来たことを思い出す。
あの頃はバイトばかりしてたから、カフェに行ってもケーキを頼む余裕があった。
いまはない。それにまだ9時になるかならないかぐらいだから、きっとやってないと行かないのではなくて、行かないのだと自分に言い聞かせて、すぐに見えて来たマクドナルドに入る。
帰巣本能に従うかのように。
いつの間にかマクドと言うようになったのは、いつ頃からだろう。
京都に住んでいた頃は、マックと呼んでいた気がする。
後から入ってきた女性が注文し始めた時、間違えて受け取り列並んでいることに気づいた。
できるだけ平静を装いながら、後に続く。
いつもは見ない朝マックメニューに目を奪われたが、心はカフェインを求めている。
こんな記事を書けるぐらい、マクドナルドに通い詰めているぼくだから言える。
店内を見渡して、「京都はマクドにも品があるな」なんてことを考えてしまうのは、きっとこの街に情を抱いているからなんだろう。