ぺーぱーの日々

上機嫌でいること、夢中でいることを目標に、今日も色んなことに手を出します。

MENU

『母体か胎児か』を迫られたぼくの両親の話

27歳になったのを機に、生まれる時のことを振り返ろうと思う。
もちろん、記憶はないので両親から聞いた話を基に。

ぼくが生まれるとき、母親は高熱を出していたそう。
かなりの重体だったらしく、「母体か胎児どちらかしか助からない可能性もある」という
ドラマでしか聞いたことがない、セリフを医者に告げられていたそう。


母親からその話を聞いた時のことをたまに思い出す。
父親は仕事人間で、医者から究極の2択を聞かされたときも、母親一人だったらしい。
医者から言われた内容を父親に伝えると、「お前はどうでもいい。当然、子供に決まってるだろ。

 

そう言われたと。


その時母親はどんな顔をして、伝えてくれたのかはっきり思い出せない。


いや、母の顔を見るのが怖かっただけかもしれない。


話してくれた時には、両親は離婚していたので、淡々と話していた気もする。

 

それを聞いてしばらくは、生まれてきてしまったことを申しわけなく思った。


物心ついた時から、いつ離婚してもおかしくない両親を見ていたこと、
全てを利害にからめる父親という人間であること、

 

を考えれば、そんなやり取りがあっても不思議ではないなと時間をかけて思えるようになった。

 

でも、やはりその時のことを思うと、母親は悔しかっただろうなと思う。

自分はまるであの人の子を産むためのただの箱としか思われていない、
なんてことを考えていたのかなととても悲しくなる。

 

母親はよく「私にはあなたたちだけだから」と僕たちに昔よく言っていた。
4人の子どもを実質1人で育て上げた母親。

 

自分ももう27になった。

父親になっていてもおかしくない年齢。


ありがたいことに、生涯を共にしたいパートナーとも暮らし始めて半年が経つ。

彼女と自分達の子どもを愛し育てたいと望んでもいる。


だけど、自分が生まれた時のことを思い出すと、少し怖くなる。


あの時の母親のように、彼女に悲しい想いをさせてしまうのではないか、とよぎらないこともない。
もちろん、そんな非情な人間ではないと否定したいが、
父親の性格を受け継いでいるなと思うこともある。

 

経済的には親から独立できた。
でも、精神的にはまだ、そしてきっとこれからも親の影響を受け続けるんだろうなと思う。
正確には、親との共通点を無意識に見出してしまうことは一生やめられないのかなと思う。

 

親って、そういう存在か。
なんてことを、ふと考えた27歳バースデー。