ぺーぱーの日々

上機嫌でいること、夢中でいることを目標に、今日も色んなことに手を出します。

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映画『The Guilty』を見て、悪意のない罪のどうしようもなさを痛感して少し寝不足。

いつものように「聴き映画」をしていた。

 

「聴き映画」というのは、

イヤホンをつけて音声情報メインで楽しむ

新しい(?)映画鑑賞法。

 

この映画は、「聴き映画」にピッタリの一作だった。

映画を構成するのは、緊急ダイヤルのやりとり。つまり、音声情報で映画が出来ている。

 

カメラは主人公を映し出しているが、切り替わることはない。

 

「なるほど、北欧映画らしい」と妙に納得する。

ろくに北欧映画を見たことないが。

 

ハリウッド映画のような

「規模で魅せる」映画ではなくて、

「余白で魅せる」映画という印象をうけた。

 

ストーリーとしては

女性からのSOS通話を元に進んでいく。

 

登場人物は、主人公(刑事だったが、緊急ダイヤルの電話番に左遷?されてる)と、

子ども2人の一家。

 

他には、

刑事時代の元相棒、

刑事時代の元ボス、

パトカーを現場に向かわせる係

などがいる。

 

母親からのSOSで始まる。

父親は犯罪歴があって、

拉致されている状態。

 

「拉致されている最中に

どうして電話ができるのか?」

という疑問は会話中に解消する。

 

母親は、家に置いてきた

娘と話している体で

主人公にSOSを送っている。

 

父親にバレないように

YESかNOかの質問を繰り返し、

現在地を聞き出すテクニックにはシンプルに感心。

 

後半の生死を分ける場面を除いて、

コールセンター側の人間が

落ち着きすぎていて、

単なるコールセンターかと誤解する。

だが、実際はそうなのかもしれない。

 

人生で一度だけ110番をしたことがある。

京都で一人暮らしをいていた時、

夜中2時に玄関のドアノブが動いたから。

 

ドアノブが音を立てている間は、

怖くて玄関に近づけなかった。

 

1.2分後には治ったが、

あんなに時間が長く感じられたのは初めてだった。

何度も男が部屋に入ってきて、

襲われる想像をした。

 

日頃、急に誰かが部屋に入ってきたら

どうやって応戦しようか、と

シミュレーションを重ねるが

現実ではそんな妄想何の役にも立たない。

 

ただ怯え、嵐が過ぎ去るのを祈ることしかできない。

 

音が聞こえなくなって

数分してから110番をした。

 

「事故ですか?事件ですか?」

のお決まりのセリフから

始まったかどうかも覚えていない。

ただ混乱していた。

 

そんな被害者を尻目に、

電話越しの相手は

すごく落ち着いてるなと感じたような気もしなくはない。

 

 

映画でも通報には

作業的に処理している。

 

事件性が強まるにつれて、

主人公の人間性が顕になってくる。

 

いや、逆か。

主人公の取り乱していくにつれて、

事件が深刻になっていくことが伝わる。

 

この映画の登場人物は、

ほぼ主人公と一家のみ。

 

電話の相手は、

終始取り乱している。

となると、主人公の変化しか

事の展開を伝えようがない。

 

最終的には、息子を殺した

精神異常者である母親に

自分が犯した罪まで打ち明ける主人公。

 

彼は、捜査対象の犯罪者を殺害した。

 

「人生にうんざりして

何かを取り除きたかったから。

なんだろう。悪いものだ。」

 

「ヘビ?」

 

「そうだ、ヘビだ」

 

人殺し同士のやりとり。

「そうだ、ヘビだ」と言う彼の表情からは、

ようやくあの時の殺意の正体を

見つけたかのような印象を受ける。

 

息子を八つ裂きにして殺した

母親の異常さに言葉失っていた彼は、

自分も「異常さ」を抱える一人であることを受け入れられた瞬間。

 

殺害の告白を耳にした

同僚たちには目もくれず、

主人公は執務室を後にして、

映画は終わる。

 

執務室の扉を開いた先から

初めて光が映し出される。

 

最後に見えた光は、

贖罪なのか、終焉なのか、わからない。

 

しかし、あの通報を

彼がとっていなかったら

あの罪を打ち合わせることはなかった。

 

この映画のタイトル"Guilty"には、

潜在的に持つ「悪意のない罪」を表しているのではないだろうか。