ぺーぱーの日々

上機嫌でいること、夢中でいることを目標に、今日も色んなことに手を出します。

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村田沙耶香『生命式』を読んで、SDGsを連想したのは僕だけだろうか?

「他の動物に同じことをするより、ずっといいじゃない。死んだ人間を素材として扱うのは、私たち高等生物の尊い営みよ。死んだ人の身体を無駄にしないように活用し、いずれ自分の肉体もリサイクルされて、道具として使われていく。素晴らしいことじゃない。道具として使える部分がいっぱいあるのに捨ててしまうなんて、そんな勿体ないことをするほうが、ずっと死への冒涜だと思うわ」

短編『素敵な素材』にある一節。

 

この短編を読んでいる時、

SDGsの行き着く世界を見た。

 

SDGs

前職のコンサル会社では、

見聞きするだけでなく、

毎日ようにお客さんに語っていた。

 

退職して3ヶ月、

SDGsは完全に過去のものとなった。

 

前職でもお客さんに

SDGsを経営に活かすことを

説いている中でも、

「想いは素晴らしい。

けど、経済がついてこない」

と懐疑的だった。

 

生命式で描かれる世界では、

想いと経済が両立している。

 

亡くなった人を食べて

性行為が公にできて

新たな生命が生まれる儀式。

 

少子化が今よりも深刻になった

日本が舞台だけど、

今の日本も行く行くは

何かしらの工夫が必要になる。

 

少子化、持続可能な社会の実現、

の一つの答えを

この小説は提示している。

なんて政治的な内容にするつもりが無かったんだけど…。

 

 

読み物としては

まあまあ面白い。

 

どの短編も、最初の数行で

つい笑ってしまう。

 

自分の価値観にない

世界が広がっている

呆れにも似た驚きの笑い。

 

ミステリー小説の

クライマックスに最高潮を迎えた

「そうきたか!」の高まりではなく、

 

前提としてあるワード。

 

人肉

人毛

フューチャーオートミール

壊れた眼鏡

 

造られた言葉には

本来なら「」がつく。

 

だが、この小説にはそれがない。

だから、一読しただけでは

その異常に気づかない。

 

もちろん「つけ忘れ」ではない。

意図してつけていない。

「」は異物の合図。

 

人肉も人毛も

この世界では異物ではない。

 

人を食べる

人を再利用する

人を飼う

 

その全ては正常なのだ。

 

この小説を100回も

繰り返し読めば

ある日食卓に

「人肉のもつ鍋」が出てきても

「少しクセがあるね」ぐらいに

箸が進みそうな気もする。

 

 

不足を補うために

常に「正常」は変化する

 

「同棲愛」「体外受精」「昆虫食」

 

時間をかけて少しずつ

「過去の異常」は

「新たな正常」に姿を変える。

 

同僚の血肉が鍋になる

父親の皮がベールになる

 

経験によってのみ、

想いと経済は両立しうる。

 

「貧困をなくそう」

「飢餓をゼロに」

「すべての人に健康と福祉を」

 

より良い世界になってほしいと

誰もが考えている。

 

今の世界は

変えざるを得なくなった人たちが

作ったもの。

 

望むことと

変えることの違いは、

経験の差だ。

 

お金持ちになりたいなら

ホームレスになれ。

 

どの啓発本にも書いてないけど、

きっとそれが答え。

 

 

とても有意義な一冊でした。